ただのdiary

自分らしく、自分の人生を歩むための私の日記

特別お題「今だから話せること」:血液難病「血小板減少性」②ステロイド

特別お題「今だから話せること

皆さんこんにちは!

 

今日は、「今だから話せること」の、パート2の話をしたいと思います。

前回で、病気の発覚から一度目の退院までをお話ししたので、今回は、退院からの話をしようと思います。

 

退院したのは、穏やかな日の午後でした。六日ぶりに出る外が嬉しくて、初夏の日差しを感じながら、迎えに来てくれた母と一緒に病院を出ました。私は、昔からじっとしているのが苦手な子供だったので、始めての入院で六日間も屋内に居続けること自体がしんどかったです。入院中は外出は認められていなくて、もし外出をするのなら、車いすを使ってとのことでしたので、ずっと病室で勉強をしていました。転んで出血してしまうリスクを回避するためでしたが、始めての大きな病気と一人で病室で向き合っているのも、非常に辛かったです。

当時私は高校3年生で、学校のテストにも(私なりに)真剣に取り組んでいたので、学校にまた行けるのがとても嬉しかったです。今でも忘れないのが、次の日久しぶりに学校に行ったら、後ろの席の男の子が「復活したね」って、一番に声をかけてくれて、胸が熱くなったのを覚えています。(笑)

ステロイドの副作用の影響で、感染症にかかりやすくなるということで、学校にはマスクをしていき、なるべくケガをしないように運動も控えめに行い、難病と一緒に生活していくことになりました。

 

薬の服用を始めて、2か月ほどたったあたりからでしょうか。顔の周りや肩の周りにお肉がついているように見え始めました。同時に、無償に空腹を感じたりして、明らかに身体がおかしくなっているのを感じました。これらの症状は全て、ステロイドの副作用でした。高校3年生という思春期真っ只中で、顔がみるみるうちに広がって、身体も二回りくらい大きくなって、本当に学校に行くのがいやになりました。高校最後の文化祭も顔を隠すために、大きいマスクをして写真にはなるべく写らないようにしていました。ステロイドの危険性や副作用についてもっと事前に知っておくべきでした。

これらの身体の不調が、薬の副作用だということに気が付き始めた頃、私は、ぱったり薬を飲まなくなりました。一か月に一度のペースで通院しており、薬の減量も併せて行っていたのですが、自分をこんな身体にした薬が許せなくて、もらった薬を全部トイレに流したこともありました。(笑) 顔とか全身のマッサージをしたり、運動したりしても、付いた肉はしぶとくとれませんでした。(笑) でも、病院前には、一時的に数値を上げるために、4回分を合わせて飲んだりして、ほんとにふざけた服薬をしていました。一度の服薬で12錠も飲んでいると、必然的に数値も安定してきていました。退院時には、血小板は、20万ほどありましたし、私が薬を飲まなくなった頃でも20万前後の数値はありました。私は、安定していた自分の数値を見て、どんどん薬を飲む必要性を感じなくなっていました。

薬を飲んだり飲まなかったりして、気づけば高校を卒業するころになっていました。薬の副作用は、ムーンフェイスとか、バッファロー肩(いずれもお肉が付きやすくなってしまう症状のこと)とかのみで、他に併発して肺炎だとか、体内出血だとかにはならず、比較的健康に暮らしていました。しかし、ステロイドを服薬して2年が経過しても、血小板数は、未だ不安定でした。(当たり前です(笑))

そこで、次の投稿では、高校卒業後から私の治療フェーズの二段階目について書いていきたいと思います!

それでは、皆さん次の投稿でお会いしましょう!!!(⌒∇⌒)